故郷を未来につなげる酒造りを
小さい頃はおもちゃ屋の息子に憧れました。もう少し大きくなると、寿司屋の同級生がいて、彼がとてもうらやましかったことをよく覚えています。いずれにせよ、飲めない酒を造る家業には、全く興味がありませんでした。
ただ、冬になると蔵人が来て、朝はもくもくと蒸気が上がり、米のにおいがあたりに充満する。家のお風呂のお湯は、米を蒸すための和釜のお湯を再利用したもので、米の香りがする。そんな子ども時分の環境は、自然に家業の存在を意識させました。
美味い酒を造りたいとか、伝統を受け継ぎたいとか、ましてや故郷を守りたいなんていう、そんなカッコいい理由もなく、何となく家業を継いだのが偽らざる本音です。ただ、実際に家業に入り20年、この仕事に想像を超えた魅力を感じていることも確かです。
自然や人を含めた地域とのかかわり、大切な原材料を生み出す農業とのかかわり、そして、「酒」を共通言語とする、世界にも広がる多種多様な人たちとのかかわり。「地酒」は故郷を象徴し、故郷を広い世界に発信することで、それを未来につなげていく一助になり得ると確信しています。
私たちの町だけではなく、地方は人口減少が続き、活力が低下しています。日本酒そのものも需要が大幅に消失する中、歴史的なパンデミックの影響も相まって、本当に厳しい状況となりました。ではどうするか?私たちは私たちの役割を果たすことで、様々な問題の回答を導きたいと考えます。
唯一無二のパートナーである日本酒専門店さんと共に、当蔵は、100年先も地域と共に生き残る造り酒屋を目指します。
会社概要
社名 | 頚城(くびき)酒造株式会社 |
住所 | 〒949-3216 新潟県上越市柿崎区柿崎5765番地 |
電話 | 025-536-2329 |
FAX | 025-536-3756 |
代表者 | 代表取締役 八木崇博 |
資本金 | 35,000,000円 |
株主構成 | 筆頭株主 八木崇博(創業家 八木家にて100%保有) |
代表銘柄 | 越路乃紅梅(こしじのこうばい)、 八恵久比岐(はっけいくびき)、久比岐(くびき) |
製造石数 | 令和4酒造年度 約300石 |
沿 革
1697年 | 5代 八木善六朗が十石二斗を醸造(清酒醸造の創まり) |
1900年 | 13代 八木和一が清酒「冬の花」を醸造 |
1936年 | 「御膳水」(柿崎・小松酒造)との新たな縁戚関係により、八木酒造・小松酒造が合併。 頚城酒造を設立。清酒「久比岐」を醸造。 |
1972年 | 新蔵増設 |
1983年 | 清酒「越路乃紅梅(こしじのこうばい)」を醸造 |
1995年 | 瓶詰め工場を新設 |
1999年 | 清酒「越後杜氏の里」を株式会社イズミックと共同製造(2023年3月をもって製造終了) |
2010年 | 新潟県酒造従業員組合主催 自醸酒鑑評会 第1位受賞(出品91社中) |
2014年 | 新潟県内限定流通ブランド「八恵久比岐(はっけいくびき)」の販売開始 |
2023年 | 越後流酒造技術選手権大会 第1位受賞(出品61社中) |
弊社は現法人としての創業は1936年(昭和11年)となりますが、歴史を遡ると、祖先は1697年より酒造業を創めたと伝えられております。現在の新潟県上越市吉川区東田中で1596年(慶長元年)、初代八木吉左衞門が分家をしたのが八木家の起源とされ、1697年(元禄10年)5代八木善六朗が酒造りを開始したのが、頚城酒造の酒造りの始まりと伝えられております。
1724年(享保9年)にはおよそ150石を醸造したという記録が残っておりますが、それ以後大幅に酒造業を拡張することはなかったようです。その後、酒造りの休止や再開などの歴史を経て、近代では八木酒造として「冬の花」を醸造、そして1936年に現在の所在地にあった小松酒造との縁戚関係により合併をし、頚城酒造としてスタートしました。
尚、小松酒造は「御膳水」という銘柄でしたが、これは1878年(明治11年)に明治天皇御巡幸の際に、小松家内の井戸水が御膳水として用いられた事に由来しており、この地の水の良さを伝えるエピソードの一つとして伝えられております。 (八木家文献等による)